「負ける」ということ ~トミッチ戦の敗戦を振り返って雑感~
おはようございます。
予想はしていたんですが、本当に最近更新止まってて申し訳ないです。
細かい情報などはツイッターにも書いていますのでそちらもよろしくお願いします。PC版では自己紹介のところにリンクを貼りましたのでぜひ。そのツイッターが動いている限り、おちこんだりもしたけれど、私は元気です。
このネタ分かる人どれくらいいるのか…
さてそんなわけで全豪です。トミッチ戦とかフェデラー戦とか日比野優勝の記事とかたまってるのは把握してます。しかしとりあえず目先の事から行きたいと思います。
トミッチ戦はもうここで処理しますが、皆さんの思っているそれぞれの事が真実だと思います。
全米フィーバー以降の人ももう1年もテニスを見ている人がほとんどではないでしょうか。以前から私はテニスを本当に理解するには1年かかるということを言ってきました。
その1年が経ちました。みなさんも最初はよく分からないボールの打ち合いだと思っていたのが、少しずつ分かるようになってきたのではないでしょうか?
私も2012年の頃は今から思えばすっとんきょうなことを言っていたなと思い返します。
そんなわけで試合を見ていないのとみなさんの実況などから推察できることと、実際にわずか数ゲームだけで先のテレビで見れたことから判断した結果、2015年後半戦の錦織が戻ってしまったということが結論です。
私が見た中で象徴的だったのがファイナルセット2-4の30-30からのバックハンドのネットにかけるUEです。
あれが入っていかないときは調子が出ていないときです。負けを悟るには十分でした。
しかしフェデラー戦の錦織圭もまた真実。2015年からずっとですが、力の出し方をうまくコントロールできていないだけです。はまればあっという間にGSを取るかもしれないし、それは再来週なのかもしれません。
わかりません。すべてが闇の中です。その中で今は期待が下がっているということは明らかでしょう。
さて、少しだけ。←この地点でドロー解説を書くはずが方針転換決定
「勝たなければいけない」
非常に肩に力の入った表現です。上位選手に対して使われる言葉で、私も無意識に書いてしまいます。
しかしです、勝たなければいけないのは誰もがそうなんじゃないでしょうか?負けたい選手なんていないのです。
私たちファンは決して安心してはいけない。あるものは初優勝を夢見て、あるものは生活をかけて、あるものは世界の頂点に立つために、目の前のボールを打ち続ける。
そんなつばぜり合いの中で差が生まれ、ランキングができ、なんとなくの安心感を得ているにすぎないのです。
錦織は強くなりました。
2012年から応援している身からすると信じられない領域に行きました。
当時BIG4が全盛期、さらにトップ10の中段グループにツォンガ、ベルディヒ、フェレール、デルポトロ、ガスケらがいて、アルマグロやフィッシュ、復帰したハースなど強い選手はいくらでもいました。
この相手を倒さなければいけない。
もちろん倒さなくてもランキングを上げることはできるでしょうが、いつか頭打ちします。
もう無理だと思う試合なんか何度も見てきました。
今日はその試合としてニューポート2012のラジェブ・ラム戦を紹介します。私の観戦においてターニングポイントとなった試合で、古参ファンの中には思い出のある人もいる試合だと思います。
あの日のことははっきりと覚えています。
当時の錦織はこんな感じでした。
・クレーシーズンをけがで1か月棒に振る
・ぶっつけで出たウィンブルドンではシードキープの3回戦進出、3Rではデルポトロに敗れる
・この年は五輪がウィンブルドンであるため、過疎週であるニューポートに出て芝で調整
・ランキングは18位で第2シードでの参戦
当時芝適正は不明の状態でしたが、50位以下の選手がほとんどの過疎大会、悪くともSFにはいくだろう(QF対抗シードは当時57位のヤング)という見込みでした。
ニューポートは日本の真裏にあり時差が厳しく、早朝目をこすりながらラム戦を見始めました。
ラムは当時118位。それまで名前も聞いたことがない選手でした。最近で言えば初対戦の時のクライチェクとか2014で言うとデルレイのエリアスとかそんな感じです。
もちろんこの地点でラムは2009年にこのニューポートで優勝していましたが、その優勝をもってしてもトップ100すらあまりキープすることができず、完全にチャレンジャー埋もれの選手でした。
ところが試合のふたが空くとラムはサーブ&ボレーを決めまくり、錦織はイレギュラーも多く隣のコートと近いニューポート特有の環境に苦しんでミスを連発。大事な場面でもポイントを取れずにストレート負けを喫しました。
当時錦織圭を扱っていたわずかな場所でも議論が巻き起こりました。
全豪で8強に入り、小さな錦織フィーバーが起きた後大きな確変はなし。プロジェクト45を達成し上海4強入り。当時無敵だったジョコビッチを破りバーゼル準優勝。ツォンガに打ち勝ちGSでも扉を開いた。
そんな期待値が先行する錦織に対して2012年前半戦の全豪を抜いた結果は以下の通りでした。(詳しくは閑話休題シリーズ⑯にて)
ブリスベン 2R(1-1)20p
ブエノスアイレス Q(2-1)45p
アカプルコ 2R(1-1)45p
インディアンウェルズ 2R(0-1)10p
マイアミ 4R(2-1)90p
モンテカルロ 3R(2-1)90p
バルセロナ 3R(2-1)45p
マドリード、ローマ、全仏欠場
ウィンブルドン 3R(2-1)90p
ニューポート Q(2-1)←ここ
今見ると笑っちゃいますよね。100p以上獲得した大会がないんです。
この年の錦織はこのあと五輪で8強に入り135p、楽天優勝で500p入ってますが、目立った成績は以上です。これだけで、19位に入れちゃうんです。
私たちはこの時代からするととんでもなく前にいる時代なんだと感じます。
250の、それもGS前哨戦で20位を切る上位選手に敗れて、当時の何十倍もの批判や意見が飛び交う場所にいます。
あの当時のラム戦での批判を読み返すと、今と似たようなことが書いてありました。気になる方は探してみてください。
テニス選手が負ける場合、主に2つに大別されると思っています。
①相手との実力差があったからどうしようもない
②自分の実力で、勝てる可能性があったのに負けた
当時2012年は①であることも少なくありませんでした。
全豪でマレーに負けたのは致し方なし、その後も鬼門IWは除くとしてもマイアミではナダルまで行きました。戦ったけど相手が強かった上回っていた、そんな試合はいくらでもありました。
ラム戦の何がショックだったかというと、コアファンでも知らないような無名選手に250のQFで第2シードの選手が負けてしまったこと、それもあっけなく、です。
この時私たちは珍しく②を意識していたのでは、と今になって思います。
勝てるはずだった、その分のショックは大きいです。
さあここからが本題です。2015年の錦織に①の負けはあったでしょうか?答えはノーです。
あるとすればファイナルジョコビッチ戦くらいでしょうか。
錦織圭という選手が辿り着いた場所で、もう力負け、見る前から負ける結果が分かっていたという試合は存在しなくなりました。
そして年末に触れたように、2014年はケガや体力切れでの負けという不可抗力で負けを「なかったこと」にしてしまった結果、まるで出た試合は全部勝つような錯覚に陥っていました。
現実に今のところ確かに錦織テニスのピークは2014年だったと思います。疑いません。
しかし2015年は夏を超えるまで2014年よりも稼いでいた現実を見ると、2015年錦織は決して悪かったわけではありません。
無意識のうちに同じ負けが「許せる負け」から「許せない負け」に変わってしまいました。ただそれだけの違いと、爆発がなかったこと。この2点が2015年錦織を正当な評価ができなくなってしまった原因です。
しかし、です。先ほども書いたように負けたいと思ってコートに立っている選手なんて一人もいないのです。
試合を投げたくなりそうな大差の試合になっても、決してボールを観客席に打ち込んで相手のポイントにする選手なんていません。
彼らはプロだしそれでお金も稼いでいるし当然と言えば当然なのですが、テニスの試合に出てみるとわかります。本当にコートから逃げ出したくなることが時々あります。
以前から私はプロ選手がどういうメンタリティー、どういう思考でテニスをしているのかが気になっています。
いろいろ考えているのですが、最近一つの結論がまとまりつつあります。
彼らはアスリートとしての本能として負けたくないという気持ちを持っているが、それを勝ちたいという気持ちに変換している
「勝ちたい」という気持ちは欲望や渇望です。
「負けたくない」という気持ちは相手に対する恐怖であり不安です。
プロ選手も一人の人間です。私たちと同じように恐怖や苦しみや負の感情を抱えることもあるでしょう。
しかしそういう心情はほとんどの場合プレーにうまく反映されません。
テニスに限らずですがスポーツに本気で取り組んだことがある人は多かれ少なかれ経験したことだと思います。
私は相手のMPでDFしたことがあります。公式戦です。
強いところはとことん強いですが、本質的なメンタルは私は弱いと思っているので、なんとなく原因はわかります。いつも通りのプレーができませんでした。
今の錦織ファン(特に新規)はまさにこの感情の中にいます。
負けたくない、なぜトップ10以下の選手に簡単に負けるのか。
守りの感情に入っています。勝たなければという焦り、勝てないことへの憤り…
負けることを躊躇してはならない。
久しぶりにこの言葉を出します。
当時の錦織はまだ上り調子。ファンの高い期待に見合った結果が出ていた時期でしたが、500の決勝でフェレールに負けてのこの言葉です。
さて、今この言葉を出したのにはもちろん意味があります。
今年の全豪OPは、2014年全米以降では錦織が主要大会で初戦敗退する可能性を本気で議論する最初の大会になっています。人によっては去年のアルマグロの時もでしょうが、全体の風潮として悲観的になっているのは今回が初めてだと思います。
個人的にはこれくらいでやっと正しい「期待」の中にファンが戻ってきたという感覚です。
2014年より前のファンは毎大会ドローが出ては不安を口にし、1勝するごとに安堵、ラウンドが進めば期待が高まりほとんど跳ね返されるも突然爆発して狂喜乱舞、そんな生活でした。
しかし今と違ったのは、当時あまり守りの感情はなく、出たとすればこのラム戦とか、アカプルコのシャルディー戦とか、そんなときくらいだったと思います。
本来目の前の相手に勝つことが難しい世界、一歩間違えれば負ける世界。
去年の前半はそこから離れた世界で錦織はプレーしているように感じていました。
でもそんなことはありませんでした。今も昔も1対1でボールを打ち合い、相手よりも一球多くコートに入れたものが勝つ。
この本質が変わったことはテニスが始まって以降一度もありません。
少し錦織の状態が落ちたことで、私たちはもう一度この世界の本質に直面しました。
明日勝つかどうかは、誰にもわからない。
だからこそ、1勝1勝を喜びましょう。今日コールシュライバーに負ける可能性も十分にあります。
だからこそ、もし今日勝てたら喜びましょう。
今日は最後にこの言葉にもう1行書き足して終わります。
負けることを躊躇してはならない。
その代わり、勝つために目の前に貪欲に。